薫風



暑さ寒さも彼岸までと申しますが、まだまだ寒い日が続いております。
いかがお過ごしでしょうか。
今宵はとてもあなたのことが懐かしく感じられましたので、こうして書き綴っている次第です。お見苦しいとは思いますが、お許し下さい。

さて、私が今思いだしておりましたのは、あなたと過ごした日々のことです。

始まりは、少し風の強い日でしたね。あなたはいかにも精一杯というふうに麦わら帽子を押さえて、不機嫌そうでしたね。湖のほとりを歩こうと誘っても、ますます帽子を強く押さえ込んで、いやいやをして屈んでいました。そこで私は湖に近づいて、両手を広げて、いかにも風を感じているというふうにしてみせました。
「こんなに気持ちいいのに!」
と。そうしたら、あなたは言いました。
「風が羨ましい。」
私は素っ頓狂だと感じました。呆気にとられて何も言えませんでした。あなたは続けました。
「あなたにそうやって感じてもらえるんですもの。」
あなたは立ち上がりました。




風になる、と言って。




それからあなたの「なりたいもの」はどんどん増えていきましたね。私が春の日差しに「暖かい」と漏らせばそれになると言い、雪に体を白く包まれればそれになると言い、そうそう、雲を掴んでみたいなと言えば、雲になるとも言いましたね。

最初は呆気にとられた私も、だんだんあなたの意味するところがわかっていきました。そしていつか、冗談っぽく訊ねました。
「君は僕を取り巻く全てになりたいんだね?」
あなたはコクリと、小さく、しかし力強くうなづきました。とてもヤキモチ妬きのあなたらしかったです。

そして時は流れて、あなたは逝きました。女は男よりも長生きする、と言われている中であなたが先に逝ったのは、もしかしてあなたの願いを叶えるためなのでしょうか。あなたは日差し、雪、雲・・・そういったものに生まれ変わっているのでしょうか。




そして今、襖の間から来るすきま風も、もしかしてあなたなのですか?




朦朧としてきました。そろそろ筆を置こうと思います。蛇足ですが、私は今、一人で風邪を引いています。老いた身には冬の寒さも応えます。すぐにでも暖かい春が来て欲しいものだと思いますが、あなたにそれを望んだりはいたしません。

やって来るその時まで、待たせていただこうと思います。

敬具





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