ほのお



司郎は、とうとうこの村までやってきた。彼は南のとある都市で手紙を受け取り、その消印だけを頼りに、はるばる遠い北国のこの村までやってきたのだった。誰にも別れを告げることなく安住から離れ、旅路は始まった。新幹線に運ばれてはホテルに身を預ける、という日々を経て、彼は目的地であろうこの村に辿り着いた。

山あいにあるこの村は、世の中から切り離されて、時が止まっているかのようだった。そんな村の小さな温泉宿に司郎がやってきたのは、どんよりとした曇り空の日だったと、晴美は思い返す。

「他に客も無い金曜日でございましたね。」

「そうか。もう四日も経つのか。」

「はい。しかし、もとより客などほとんど無い時期でございますゆえ、せっかく泊まっていただいているのにたいしたおもてなしもできませんで…」

「そんなことはないさ。」

「ありがとうございます。」

司郎の横で、晴美は折りたたんだ膝の前に両手をつき、頭を下げた。髪は結い上げられていて、微動もしなかった。司郎は横目でそれを見ながら美しい髪の長さを想像していたが、晴美が頭を戻すと、すぐに視線を前に戻した。

晴美も、居住まいを正しながら目の前の司郎から視線を外した。

「お尋ねしてもしてもよろしいでしょうか。」

「何か?」

「あなた様は、どうしてこの宿にいらっしゃったのですか?」

「宿を取ろうと思い立ったときに、近くにあったからだ。」

司郎は、再び晴美の視線が自分に向くのを感じた。

「申し訳ございません、尋ね方が悪うございました。あの、そうではなくて、あなた様は何をなさるために四日間もこんな宿に滞在していらっしゃるのか、知りとうございます。」

司郎は考えたようだった。眉間に軽く皺が寄った。そして、こう言った。

「どうして?」

「はい?」

「君は…どうしてそれを知ろうと?」

司郎は煙草をくわえ、マッチを擦って火をつけた。

「あなた様は、何か急いておられるように見えるのです。」

司郎の首が、晴美に向いた。晴美はハッとして、懸命に言葉を探すのだが、ほんの少し口が開いただけで何も出てこない。

司郎は何ら疑ったりする気持ちは無く晴美を見ていたのだが、晴美にはそれが責められているように感じられた。晴美はとうとう目を閉じてしまった。

閉じられた目が次に開くとき、ひとすじだけ、涙が流れ出た。晴美はそれを恥じらったようだが、司郎は狼狽することなく、変わらぬ表情で晴美を見つめていた。晴美は安堵とともに、口を開いた。

「切のうございます。」

「…そうか。」

「急いたご様子のあなたを見ると、今にも行ってしまうのではないか、消えてしまうのではないか、と胸が締め付けられるばかりです。そして、どうにか、どうにかその焦りが取り除けるよう、力になりたく思うばかりです。」

「俺はな、この村に…思い人を探しに来たのだ。」

「申し訳ございません!」

晴美はまた頭を下げた。

「私の心の中には、醜い炎が燃え上がっております。最初は蝋燭に宿るような灯火でした。けれども、けれども…どうしてこんなに燃え上がるのでしょう!」

「そうか。」

晴美は全く顔を上げようとしなかった。

「内に炎が燃えているから、君は温かいのだね。ほら、こうして手をかざすと…」

晴美は腰を折ったまま、頭だけを上げた。司郎の手のひらが、目の前に広がった。

司郎は差し出した手で、晴美のひとすじの涙を拭ってやった。

「溢れた雫も、温かい…」

「いけません、火傷なさいます。あなたはその手に火傷の跡など作ってはいけません。」

この村で蝋燭に宿った灯火は、風に舞う木の葉に燃え、炎となった。

炎はやがて消え失せ、木の葉は灰となって、再び風に舞うだろう。

そして炎が作った温かさは、大地はおろか、灰でさえいつかは失うのだ。





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