新橋出口



■私は煙草



思えば周りにある物は人間の作ったものであるから、人間に似せられて当然であるのだろう。

例えば、このタバコ。私はタバコ。

…あとはご想像にお任せする。誰か、気が向いたら書いておいて欲しい。感想以上論評未満はお返しする。

ここで私の感覚を書いても毛頭意味のないことにしか思えない。
それを書いたところで、世にひしめくテキストに相容れない、浮いたものにしかならないだろうと感じるからである。

一方、誤解のないよう書き記せば、東京信仰だとか、自分特別人種説だとかいう意識がそこに根ざしているのは事実だ。

要は、矛盾があるのだ。

しかし、それを矛盾たらしめているのは、怠惰にほかならない。
すべきことは、努力によって矛盾を矛盾と言わしめない化粧箱にすっぽり覆ってしまうことなのだ。



□私はタバコ



私はタバコ。火に触れる。

そうして生は始まって。

誰かに吸われ、焦がされる。

そうして短くなっていく。

心身燃えて、灰になる。 それはどこかに落ちてゆく。

二択はマナーと放火犯。

活かすも殺すもあなた次第。

私はタバコ。燃えている。

そうしていつかゴミになる。





■私はたばこ



七五調ですか。リズムがあって良いですね。

何の根拠もないうわ言ですが、七五調は日本人の根底に染みこんだ土着のリズムなのかもしれません。不思議な高揚感があります。

所有欲が貯蔵欲に代わりつつあるこの頃、私はこういうオーディオが欲しいと思っております。

それは、ひとつのウーファーがドン、ドン、ドン、と一定のリズムを鳴らすだけの装置です。
アンプやプレーヤーなんていう面倒な装置は付いていません。厳密に言えばそれらは内蔵されているのですが、見た目そういう面倒なインターフェイスは無くて、ただのワンボックスなのです。

そのリズムを聞きながら、暇なときには行儀悪く箸で茶碗を叩いたり、切羽詰まったときにはホンヤリと焦っている自分を見つめたりするのです。

話が逸れましたが、リズムは良いものだ、ということです。

タバコ?

そんなもの虚飾にすぎません。





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